京の伝統野菜

  京の心・旬の味

 恵まれた風土と農家の創意工夫により、京の食文化を支える貴重な食材として優れた野菜が作り出されました。 これらの野菜は人々の食生活に根を下ろすと同時に、これを栽培する優れた技術が伝統的に培われ、「京の伝統野菜」として今日に受け継がれています。 中には、収穫が少なかったり、食生活の変化などにより姿を消したものもありますが、その味の良さから改めてその品質が見直されています。

みず菜

<来歴・栽培>
 天和3年(1683年)の「常憲院殿実記」に栽培の記録があるが、それ以前から京都を中心に各地で栽培されていたと考えられる。
露地栽培では、8月下旬〜9月中旬には種し、10月〜翌3月頃まで収穫する。
水菜<特徴・用途> 

 刻みの深い切れ葉を有し、強健で分けつ力に富み、葉数600〜700枚、4kgを越えるものもある。最近は、新しい商品スタイルとして、1〜3カ月で収穫する小束(200g)が中心となっている。また、ハウス栽培による周年出荷が増加している。どんな素材とも良く合い、やわらかく、シャキシャキとした歯ざわりで、肉の臭みを消す働きがあることから京都では鯨と炊き合わせた「ハリハリ鍋」が有名。鍋物の定番で、浅潰けにも利用する。

九条ねぎ

九条ねぎ_01<来歴・栽培>
 京都府農会編「京都府園芸要鑑」(1909年)に“稲荷神社の建立の時(711年)にねぎを栽培し始め、その原種は浪速(大阪)よりくるものという”とある。その後、九条地区あたりで栽培され、改良されたものが今の九条ねぎである。
 典型的な栽培は10月には種し、翌3月まで苗床で育苗する。その後いったん仮植えし、7月末に株を掘り上げて一カ月天日乾燥させる。
この干した苗を8月下旬、本畑に定植し、ll月から収穫する。
現在、周年で栽培されているが、寒さにあい特有のぬめりと甘味が増す11〜翌2月ごろが最盛期である。
九条ねぎ_02

<特徴・用途>
  色の濃い太めの品種(太ねぎ・黒種)と浅黄色でやや細めで株分かれしやすい品種(細ねぎ・浅黄種)の2系統がある。
太ねぎは直径2cm、長さ80cm以上に育ち、細ねぎは株元が数本にも分かれる。
共に葉が軟らかく、前者はすき焼きや鍋物などに、後者はうどんやそばの薬味として用いる。

京たけのこ

西山たけのこ<来歴・栽培>
 承応3年(1654)宇治黄檗山万福寺に明国の僧隠元が孟宗竹の母竹を携えて来日し、これが西山の麓一帯に定着し、たけのこが食されるようになったといわれている。
12月〜1月に畑一面に稲わらを敷き、その上に3〜5cmの客土を行い、3〜5月に収穫する。
<特徴・用途>
 京たけのこは、地面の下にある間に掘り取るので、皮が白くて中身が軟らかく味がよい。
わかめと煮た若竹煮は、京たけのこの持味を生かした代表的な料理である。

伏見とうがらし

伏見とうがらし_02<来歴・栽培>
  来歴は明らかでないが、江戸時代に発刊された「毛吹草」(1638)、「雍州府志」(1684)には、山城の稲荷付近でつくられていたと記録が
伏見とうがらし_01ある。露地栽培では、l月下旬〜2月中旬には種し、4月下旬〜5月上旬に定植し、6月上旬〜10月下旬まで収穫する。
<特徴・用途>
 果実は日本のとうがらし類の中では最も細長い品種で、10cm〜15cmの長さを有し、先端は尖る。柔らかで辛味はなく、焼いたり、妙めたり、てんぷらなどに用いられる。葉も佃煮にして食べられる。

万願寺とうがらし

<来歴・栽培>
 大正末期から昭和初期に舞鶴市万願寺で誕生したと伝えられ、舞鶴地方のみに流通していた。血統は明らかでないが、形状、肉質などから伏見群とカルフォルニア・ワンダー系との交配と推定される。
2月上中旬には種し、5月上旬に定植、6〜9月に収穫する。
<特徴・用途>
 果実は大型で長さ15cm、重さ15g程度の中晩生種で、果肉はピーマン並に分厚くて柔らかく甘味があり、種子も少なく独特の風味があるため、煮ても焼いても美味しい。

賀茂なす

<来歴・栽培>賀茂茄子_01
  京都市北区上賀茂、西賀茂とその付近を特産地としてきたが、起源は明らかでなく、貞亨元年(1684年)刊行の「雍州府志」に賀茂なすと想像される記録がある。露地栽培では、1月下旬には種し、4月中旬〜5月上中旬に定植し、5・6月〜9月にかけて収穫する。
<特徴・用途>
 果実は正円形で肉質は良くしまり、光沢ある紫色をした重量感のある大果(12〜15cm)の晩生種であり、ヘたは他のなすと異なり、三片からなる「三へた」となるものが多い。葉や茎、果実のへたに鋭い刺がある。主に煮食用に重視され、輪切りにして「田楽」にするとおいしい。

 

鹿ヶ谷かぼちゃ

鹿ヶ谷かぼちゃ_02<来歴・栽培>
 文化年間(1804〜1818)に山城国粟田村(現在の京都市東山区粟田口)の農夫が、奥州津軽からかぼちやの種子をもらい、これを愛宕郡鹿ケ谷村(現在の左京区鹿ケ谷)の農家に分け与え、栽培されたのが始まりとされている。最初は普通の菊座形のものであったが、栽培するうちにひょうたん形となり鹿ケ谷中心に栽培が普及した。
鹿ヶ谷かぼちゃ_01
栽培は、3月上旬に播種し、4月上旬〜5月上旬に定植、7月上旬〜8月中旬に収穫する。
<特徴・用途>
 赤系晩生種で高さ20cm、重さ2〜3kg程度となる。深緑色の果実の表面には、大小の数多くの瘤があり、熟すと白い粉がふき、地色は淡い柿色に変色する。味は淡泊である。その形のおもしろさから装飾用にも用いられる。

花菜

<来歴・栽培>
  起源は明らかでないが、古くから伏見桃山の付近で冬の切り花として栽培され、京都の花市へ出荷されていた。このつぼみを食用、漬物原料用として栽培が始まったのは比較的新しく、戦後になってからである。9月上旬〜10月中旬には種し、11月下旬〜3月中旬に収穫する。
<特徴・用途>
 花の軸が短く、花と花が詰まっているため、見た目に美しく、寒い冬期に花が咲く。葉には多数のしわがある。京潰物として色鮮やかな「菜の花漬け」はつぼみが膨らんだ頃に摘み取って漬けたものである。

京ぜり

京ぜり 京都におけるせり栽培の歴史は古く、承和5年(838)の「続日本後記」にすでにせりが栽培されていたことが記されている。
 栽培は、2月中旬〜3月中旬に前年から栽培しているせりを引き抜いて苗床に植え、9月〜10月に掘り上げてあぜなどに積んでこも等をかぶせて発根苗を得、これを整地した水田に散布し、10月下旬〜翌春4月上旬に収穫する。
現在は、南区や字治市で栽培されている。浸し物や和え物、すき焼、かす汁などに用いられる。

京うど

 うどは、大昔から日本各地に自生していた植物であるが、京都での栽培は、丹波(亀岡市)や桃山(京都市伏見区)を中心に行われていた。
 栽培は、丹波においては、わら小屋の中で醸熱材料を使って冬期(2〜3月)に軟白して出荷するが、桃山のは丘陵の砂質土壌の緩い斜面において、久保市の下地利用として栽培され、3月中下旬に根株の上に高さ60cm程度の特殊な盛土をして軟化させ、春(5月)に収穫する。
 現在では、都市化等により面積が減少し、亀岡市及び京都市伏見区桃山地区で数戸の農家が栽培を続けている。

辛味だいこん

鷹ヶ峯辛味大根 京都市北区鷹ケ峰の原産で、元禄(1688〜1704)の頃から栽培されていたといわれる。
 栽培は、8月下旬〜9月上旬には種し、11月上旬〜12月中旬に収穫する。根部、茎部とも小かぶに酷似しているが全くのだいこんで、根部は強い辛味を有する。品質はち密で水分が極めて少ないため、そばの薬味として、つゆを薄めることなく濁らせず辛味をつける最高のものとして、用いられる。 現在では、京都市内でわずかに栽培され、市内の料亭などで使用されている。

柊野ささげ

 愛宕郡上賀茂村字柊野(現在の北区柊野)原産の特有のささげで、別名三尺ささげとも柊野ささげ称される。起源は不明であるが、約300年前頃から栽培されたといわれている。

 栽培は、3月下旬〜4月上旬には種し、7月上旬〜9月中旬頃まで収穫する。他のささげに比べて莢が長く80〜90cmに達する。未熟な莢には、一種の風味があって野菜用として喜ばれ、熟期が進んでも莢の硬化が遅く煮物、浸し物などに用いられる。  現在では、わずかに栽培されているにすぎない。

 

京都府農林水産部 園芸経済課 発行
「旬の京野菜提供店」のための資料による